藤田嗣治展に行ってきた
はてさて。そんなこんなで、藤田嗣治展見てきました。
一時半くらいについて、見終わったのが四時四十五分。
きょうは混んでるし一先ずゆっくり見るか!とかおもってじっくり見入ってしまったのがまずかった。可能なら梅酒大会にいくぞ!とか思ってたのに。お弁当展も気にならな!とかおもっていたのに!全てがパーです。
それもな。回顧展なだけあって、作品数多すぎる。しかも魅入る作品多すぎる。
チラシの表紙になってたカフェ(1949)は、流石としか言いようがない。白と黒。肩の質感、胸の質感、思わせぶりな口元。顔の凹凸。ソファの質感。まじで神がかっていた。
構図は同じくせに、印刷物と本物、ここまで違うのかと思う。最近行く展覧会は全てがそうだ。本物を見なきゃやっぱりダメなんだなと理解した。
ひとまず、ずらーっと感想並べるな。
あとで整理する。
なんだかんだ一番心惹かれたのは、初期はエミリー・クレイン=シャドボーンの肖像。
あと、自画像(1929)の猫の顔。
後期は嫌な意味でサイパン島同胞臣節を全うす。純粋に好きなのは猫を抱く少女。圧倒されたのは、礼拝。
エミリーの方は、青が綺麗なのよ。背景の布、ソファなかなかな色の調和。その中に現れる青の衣。あと、猫ね。猫もとてもきちんと描写されてて綺麗。
自画像は年々洗練されていくんだけど。一緒に書かれる猫はこの年のが一番好き。
サイパン島はね、ほんと、無意味に泣きそうになった。藤田さんはこれを書いていてしょうきでいられたんだろうか。ほんとすごい。なかなかね、辛辣ですし凄惨でした。でもとても丁寧なんですよ。もう、足元にある死人の顔とか。これから死に行く人の恐怖とか。やばかった。ほんと、もっていかれる。
猫を抱く少女は、もう、猫の顔よ!!もう、大好きなんだろうな、ご主人は少女ですか!なやつ。めっちゃ幸せそう。対する、少女の顔な。藤田流のなんとも秘めてる子供の顔。ギャップたまらんわってなりました。
そして、礼拝。これは、最後の作品といっても過言ではあるまい。全てをきちんと詰め込んで、藤田の祈りのこもったものだからこそなんだろう。ひどくいい意味で泣きそうになる。
あと金箔神々しい。よき。
とまぁ、これが個人的に特に刺さったやつ。
ほかもね、普通に綺麗だった。肌の質感。白の背景。すごいわ、藤田さん。
何より、日本人として世界で生きるってのと、猫は女性と同じ、の言葉ほんと尊敬します。まじでな。
とまぁ、簡単にまとめるとこんな感じ。
以上、かぶらやで串をいただきながらまとめてみた。
感想だけはね。賞味期限があるので。あとで書こうと思うとまったくちがうものになるので。ひとまずね。
図録は、書いませんでした。
ひとえに、物販列の長さに心折れたからです。
多分、一ヶ月前の自分なら買ってた。
こんなに感動しておきながらなんも買ってないんだよね。
だから、わすれないうちに書いておく。